化学の点数をあげるにはどうすればいいか。

高校化学は20%の理解力と、80%の納得。

 

勉強時間を確保することを前提条件とする。

 

長年、触れてきた化学についてまとめてみます。とはいえ、高校のときに化学が少し得意でしたというレベルなのですが。

 

化学は基本的に物質は何でできていてどう作るかという学問であるというのが私の見解です。だから、すべての化学の道は「化学反応により物質やエネルギーを生み出すこと」に通じる。これに対するWhat,How,Whyを学びましょう、というわけです。

 

 

物質をつくるには、原子とよばれる粒子が必要です。原子の内部には原子核が存在し、その内部には陽子とよばれる粒子があります。

化学における原子の性質は基本的に原子核の内部の陽子の個数で決まっています。そこで陽子の個数によって系統分類し、種別に分けた表現を元素とし、元素に含まれる陽子の個数を原子番号とします。

 

今かいた文章は、私が教科書の内容や様々な書籍から得た知識を、理解した通りにアウトプットました。

 

これをはじめて聞いても、ピンとこない人の方が多いような気がします。私もそうでした。

 

水は良く見るけど、H2Oはみたことない。水素原子なんてみたことないし、その中に陽子が入っていることなんて確認したことがないのです。

 

この中に水素があります。

これを空気中で燃やしました。

すると水ができました。

空気中には酸素があります。

この酸素と水素が反応した結果水ができました。

だから水素と酸素で水ができるんです。

 

って言うのももっともらしい表現ですが別に水がH2Oであることを目で見て確認できたわけではないのです。

 

目で見て確認できないことを納得できるかどうかが大切だと思っています。

少なくとも高校生活の限られた時間の中で効率良く化学の点数を上げるためには。

 

ここで、納得せずに「なんで?」を積み重ねて知識を積み上げていくスキルを「納得しないスキル」、一方、「ふーん、そっか、ほんで?」と納得して次のステップに進むスキルを「納得するスキル」と呼ぶことにします。

 

一般的に科学において「納得しないスキル」は大切であると言われています。

しかし私は、早く点数を上げるためには「納得するスキル」の方が重要と考えます。

 

原子の話の例で、肉眼で球体の原子を見るにはどうすればいいか?という疑問を解決しようとしたら、それは無理だし、じゃあどうやって原子モデルをつくったかという疑問を持ってしまうと、物理の知識を必要としてしまうからです。

 

教科書はある程度道筋と到達目標が決まっていて、そっちの方向性についてあまり重視していません。

 

それはそれとして、次々に話が展開されていきます。

 

分岐点はここにあると思っています。

例えば陽子の個数が各元素の性質を決めているのは何故か?というような疑問を持ちつつ話を進めていくと、化学反応とはまた別の方向に話が展開していってしまうのです。

 

だから、目標が試験で点数をとることである勉強をするときには次に進むという「納得するスキル」の方が大切なのです。

 

 極端な話別に教科書の内容が事実であるという確認はそれほど重要じゃないのです。

1192年に鎌倉幕府が成立しているかどうかと同じくらい受験生にとってはどうでもいいことなのです。これを覚えた結果、点数に繋がるか繋がらないかは重要ですが。

 

疑問を持つとしたら、何で点数が上がらないのか、ということに疑問を持った方が得であると言えます。

 

高校化学は理解したあとは納得して次に進んだ方が得といえます。

 

これが、サイエンスとして正しいかどうかは別として、これもまた納得せざるを得ない事実です。

 

世の中には「納得するスキル」が重要になる場面が多いような気がします。

猿の惑星~創世記~ ~新世紀~

映画館で最新作を観るために二つとも借りて一気に観た。

 

迫力十分で、楽しく観賞できました。

 

この映画、主人公人間かと思いきや、猿のシーザーなんですね!っというかビックリしたのが、映画見終わって登場人物思い返してみると、シーザーとかコバとかブルーアイズとかロケットとか…猿の名前は出てくるけど人間の登場人物の名前が記憶に1つも残っていないっ!

 

シーザー飼ってた科学者の人とか、その会社の社長とか、アルツハイマー病を患っている親父さんとか、動物病院の女医さんとか、シーザー虐めてた動物保護の施設の少年とか…個性的なのに!たぶん意図的に人間に人間の名前を呼ばせていないんじゃないでしょうか?

それも猿に感情移入さすための演出?それか私の記憶力の欠如?

 

演出だったら凄い!

 

そして一番勉強になったのはシーザー的リーダーの姿。

施設で最初はいじめられっこのシーザー。そのとき一番の猿に一泡吹かせる、仲間を増やす、仲間の能力を上げる、忠誠を誓わせる。

順序良く猿のリーダーになるシーザー。そして最終的に自分のhomeをつくり、仲間の暮らす。

 

第一作目の創世記はシーザーが自立し、新世紀ではとうとう人類と戦争を始めてしまう。

 

シーザーは人間に裏切られたり、助けられたり、猿に裏切られたり、助けられたりしながら、homeを守るために奮闘する。

 

本当は、人間だからとか猿だからとかそんなことは別にどうということはないのだ。

 

わかりあえる分岐点はたくさんあるのにそれを選択しない人類と猿。

 

シーザーを賢者として、リーダーとして様々な仲間や居場所を守るための様々な選択をする。

 

突然現れる人間。殺意を露にするコバ。

 

コバはもともと人間から虐待を受けてきた猿。

人間に対する憎しみは他の猿以上。根絶やしにしたいと思うほどに。

ただし、人間と戦争を始めれば猿もただではすまない。シーザーは猿が平和に暮らすために、住みわけを強調し、人間には手を出さないことを選択している。

腹をたてたコバは銃を手に取りまさかの行動。

銃を手に取るコバにも強い決意があったはず。人類を滅ぼし、猿の帝国を築こうとする。

 

ラストバトルはシーザーvsコバ。

まさかの猿対猿。

 

人間に対し、攻撃を仕掛けるコバ。

半数近く人口が減り貧窮の人間の集落を襲い、人間をオリに閉じ込める。

 

一方、人間に助けてもらい、怪我が回復したシーザー。コバが占拠した集落を攻めに行く。

 

やってきたシーザーに「お前は弱い」という言葉を浴びせるコバ。

 

返すシーザーの言葉は

 

「俺も弱いけど、お前の方がよっぽど弱いやないか!」

 

自分のリーダーとしての過失、弱さを認め、戦争を始めてしまったことを受け入れるシーザー。頭脳を手にいれ、仲間を手にいれ、そしてまた別の強さを手にいれる。

人類はこの一連の猿の行動を許さない。共存を望む人類もいるだろうが、それは少数派だろう。きっと猿を根絶やしにしに来るはずだ。

シーザーは猿を守る。当然戦争を受け入れる選択をする。強い意思は揺るがないのだ。

 

涙するような映画ではないけど、とても勉強になる映画でしたよ。私はこういう映画の方が好きです。

 

完結編観に行きます(^人^)ってなりますね!

お金=?

お金は「価値」を数値化したもの。

 

紙という形、預金額という形、様々な形で保存されている。

 

しかし、お金の価値のわからないものに対しては無力。

 

だから、わかりやすい形で価値を提供できることは凄く大切なはず。

 

そういう意味で、お金=信用って納得できる意見。

 

今日、響いた言葉は、

 

人間はお金を稼ぐ役割と、稼げる人間を補助する役割の二つしか存在価値がない。

藤沢数希さんのツイッターより。

 

という当たり前で、辛辣にもとれる意見。

 

私は、7つの習慣の言葉を借りれば「影響の輪」の中にいる人をどれだけ幸せにできるか、どれだけいい影響を与えることができるかを考えてきた。

 

しかしその影響の輪の中に稼ぐ役割、つまり価値を生み出す役割の人がいなければ、少なくとも今の人間社会では弾かれてしまうのでしょう。

 

ちなみに気になっていた、内部留保に対する課税は今のところ、ストックに対する課税だから法人税との二重課税にはならないらしい。

 

まぁ消費税でも内部留保課税でもどっちにしろ財政難だから金ちょうだいって話でしょう。消費税って割りと誤魔化しようない税金だから税収上げようとしたら手っ取り早いかなーってそんなイメージですね。逆に、消費税増税は凍結ですって、お金のない人に負担はかけませんよ、金持ちの企業から税金とるんでねーってしたいイメージ。

 

結局どっかからお金とらんと破綻するということでしょうか。詳しくはわかりませんが。

 

人はお金を払う価値があると思ったら、普通にお金を払うと思うが、消費税反対やら、そんな世の中を見ると、単純に消費税あげてもどうせ変わらんのに…ということでしょう。

 

 

政治は私の影響下にない、厳密には選挙権はあるがほとんど無力、ことなのであまり興味はないし、他人事だけど、政局が動きそうなときは税金とか面倒な勉強をするきっかけとなるのでじゃんじゃん動かしてほしいし、どうせなら世界がひっくり返るようなルールを期待したい。

 

できれば、その流れに振り落とされないようにしっかりついていきたいですな(^人^)

 

10月第一週

自分が日頃良く考えていることは

 

三重県て、便利で住みやすいところだよね

 

一次産業でモノを産み出すって素晴らしい!

 

このようなことを思想として持っているわけです。

 

昨日は叔父(寝屋子の兄貴)の結婚式で、地元の漁師の兄さん達と飲んだわけですよ。

 

楽しかったね(^人^)

 

また飲みたいですね。

 

もっと活力のある地元にできるはずだ。

 

そのように思っているわけです。

 

同級生で漁師している友達が私の家に

 

来たので、そんな話を3時間くらいしたのですが、

 

何せそいつは無口なやつなので、

 

私が一方的に話している雰囲気になってしまいましたね。

 

私もまだまだ勉強が足りないと、喋りながら思いました。

 

今週一週間は、選挙に投票するに当たって分からないことが結構あったんで調べようかなと。

 

例えば内部留保に課税ってよくわからないしねw

ふと思ったこと。

お前はもう…死んでいる。(北斗の拳)

というセリフ。

 

生きてる相手に使うから名台詞になるのであって

 

生きているっていうフリがないとあまり効果的な台詞にならない。

 

だから、これを言うときは言う相手がビックリするくらいむちゃくちゃ生きてないといけないということになる。

 

逆に言われるときは死ぬ瞬間までむちゃくちゃ生きないといけない。

ナミヤ雑貨店

仲いい先輩の薦めで今回もまた一人で映画鑑賞。

 

日本の映画は作中に「余白」みたいなシーンが沢山あってこの部分は自分でいろいろ考えてくださいね的な意図が見えます。

 

ナミヤ雑貨店の奇跡は様々な物語を一つにギュッと凝縮し、凝縮した話が一気に繋がります。

ひとつひとつの話だけで、一本の映画が撮れるようなくらい内容が濃く感じました。

その間、余白のような時間に自分の感情が現れる。

 

私の場合は、

ナミヤ雑貨店の店主が病気で倒れるシーンでは店主と息子の会話が挟まれるが、自分のお父さんはあと何年生きれて、私に何がしてほしいんだろうか…と数年後の自分の身の回りの状況を想像しました。

 

あと、ナミヤの店主が最後に話した女性。昔駆け落ちした相手。もし、自分が死ぬ間際に会いたい人に会えるとしたら、私のことを幼少期可愛がってくれたおばあちゃんに来てほしいな、幻覚でもいいからもう一度会いたい。

 

人それぞれが大切にしたいものがあり、もちろん私にもあります。

 

人は大切にしたいという気持ちや感情で動くから、人生は面白いし難しいんだなって思うし、

自分の見えてないところに沢山の人生があってその人生は急に始まったり、終わったりしているんだなって思いました。

 

私も残りの人生、まぁ何年になるかはわからないが、たとえ負け戦になっても自分の道は自分で決めて自分で歩く、何かを残していく。何に誓うわけでもないけれど。