怒りの本質

大学時代、準教授の先生に言われた。

「喜怒哀楽の(怒)の感情はいらない」…と。

 

今になって考察してみると、いらないのかもしれない。

 

怒りの本質は、恐怖心を与えて自分の思い通りに他人や他の動物を動かすことにあると考えている。

 

基本的に人間(動物)は、自分以外のものが自分の思い通りに動いたら、自分の都合のいいように動いたら暮らしやすくなる。

特に人間は法律や道徳といった、一定のルールに沿って生きないと暮らしにくくなるよーみたいな社会を形成しているので、ルールを決める側は言うことを聞かさなければならない。

 

その過程で、他者に恐怖心を与えるというのは効率が良い。

 

ジャイアンスネ夫が言うことを聞かなければ暴力をふるう。スネ夫はラジコンや漫画をジャイアンに貸すことになる。

 

飲酒運転はそれに対する社会的な制裁が厳しくなってから、自己件数も大幅に減った。これは飲酒運転をすることに対してみんながびびったから。

 

大人だって子供だってその本質は変わらない。

ただ、恐怖心を与えることしかないわけではない。

 

基本的には営業の仕事って、お金を使わせて儲ける仕事だが、お金を使わせることに対して恐怖心を利用してしまうと、恐喝になってしまうからしてはいけない。

 

では、どうするかというと、私の言うことを聞けばあなたが得をしますよ、を信じさせるのです。

(ここでの「私」の特にもなる)

 

確かに、ジャイアンが「俺にラジコン貸してくれたらリサイタルただでみせてやるわー」と持ちかけてスネ夫が承諾すれば恐怖心の発生なく、ことが進む。

 

怒りの本質が恐怖心を与えることであるとするのであれば個人にとっては確かにいらないのかもしれない。

 

我を忘れるような怒りもまた、必要ない。いい結果が基本的に生まれないからだ。

 

怒りはなくてもいいかもしれないが、頭がある程度よくないと、成立しないし、我慢しなければならないことが増えると思う。