スーパーの惣菜

スーパーの惣菜は結構クオリティ高いよね!

 

地元を離れると美味しい魚が食べれなくなるので、

非常に残念ですが意外と最近の食べ物はどこでなに食ってもまぁ美味しいことが多いですなw

 

私は「曖昧なものをあまりあてにしない」というルールを設けています。

 

例えば、テストでいい点とるためにはどうすればいいかと聞かれれば、「勉強の質が上がれば…」というアドバイスがあるのですが、

ここでは勉強の質というワードが曖昧であるので私はあてにしていません。

 

単純に勉強時間を増やせばいいだけのことで、それが無理だというのなら勉強時間が増えない理由を一つづつ解消していけばいい。

 

中高と劣等生であった私がいうと、説得力がないかもしれません。

ただ、これまで優秀な人を見てきて思うことは勉強時間を1日1時間増やしたせいでテストの成績が下がったという意見を聞いたことがない。

勉強の質を向上させるために塾に行ったが成績は下がったという話は逆に聞いたことがある。

私の中ではテストの成績を上げるために必要な努力は勉強をすること…ではなく、

勉強時間を今より増やす努力をするという解答が染み付いています。

だから「成績を上げて貰うために塾に行く」というよりは、「なるべく気持ちよく長い時間勉強するためにお金を使う」「自分が受けるテストの予想問題や過去問などの質のいい教材を効率よく入手するために情報の集まりやすい場所に入場料を払って入る」って考えた方が目的がはっきりしているので後悔しないと思うのですよ。

曖昧さをなくしていくと、自分の成績が悪かったときの自己分析がわりと簡単だったりします。

 

うーん、絶対勝てるようになるための練習をただひたすらするぞ!というよりは、対戦相手がどうやったら負けやすくなるのかを考えたり、

体調を万全に整えて勝っても負けても満足を得るための努力をする方が自分にとっては都合がいいような気がするのです。

 

絶対勝つための努力みたいに思ってそれやり続けて

結果ダメでした

だったらなんだかガッカリするし疲れるし。

 

だから、努力に対する納得って重要だと思うのです。というか、それってもう努力っていう曖昧な表現を使わなくてよくって、もっと具体的な名称がついた立派な方法論ですよ。

本を週1冊読むとか、1日30分走るとか…。

 

スポーツやテストなど絶対的な方法論はないけど、絶対的な結果がでてしまう事象に関しては自分の信じる方法論を徹底して、後は別のところに視点を向けて考えるという感じです。

 

自己分析は難しいし、それを説明するのはもっと難しい。今回は寝るまでの間、自分の性格で得している部分…を文章にする練習をしてみようと思ったのですがなかなか難しいですね。

 

要するに、やることやルールは自分で決めて、結果は自分の頭の中で処理する、ということかな…?

 

その上で、自分にとって曖昧なものに関してあまり深く考えない。

 

ずば抜けた結果はなくても、1日1日小さく周りの役に立っていればそれで満足。大きく人の迷惑にならなければ満足。しょうもないことでも新しい知識が知れたら満足。

 

テストの結果が悪かったとき、「もっと勉強しとけばよかったなー」くらいにしか思わないので、あんまり悩みないです。

 

人に嫌なことを言われたときも「別に物理的な外傷を負ったわけじゃないからいいや」くらいにしか思わないので、あんまりストレスないです。

 

嫌なことがあったらとりあえずその場から離れます。トイレとか。行ってる間にどうってことないなって思うのであんまり生活で困りません。

 

また魚が急に食いたくなったら「海の近くの町へいこう」としか思わないのでやっぱり大きな悩みはない…。

 

またふるさとを離れ、地元の魚が食べれなくなるのは非常に残念だが…www