近い将来

実際、 なけなしの金、最後の金ちゅうもんは、その人間にとって、命の灯! 生きる希望そのものや、

漫画カイジにて、坂崎のおっちゃんが最後のお金を持ってきたときのお金に関する持論、名言

 

近い将来が見えるというのは凄く大事なスキルだなーと思うのですよ。最近。

 

私の今後の目標としては、まず、自分の周りについて、「ここに来て良かったな」と思ってもらえるような場所作り。

 

 見たこともないものが見れたり、聞けなかった話が聞けたり、なるべくなら知的好奇心を刺激できるような場所にしたい。自分の周りを。

 

今はインターネットの普及により、情報は何でも手に入ると言われているが、足りていない部分はあるはず。知的好奇心をパソコンの画面や、スマホの画面だけを通じてだけで満たせるとは思っていないのです。

 

何でもいいので、体験で与えられるものをうみ出せたらなぁと思いますね。

 

 

人生に必要な3大能力

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53474?page=4

 

やはり、能力はおおむね遺伝で決まるようです。

遺伝子の勉強をしたときから大方そう思ってはいたが、どうやらこれを言ってくれる人がいるらしいですね。

 

私が、人生を左右する3大能力と思っているのが、

 

知力、体力、諦め、この 3つです。

二つは言うまでもない。諦めは、危機回避能力と言ってもいい。

 

できそうなら、続ければいいし、できなさそうならやめればいい。努力は必ず報われると言うが、犬が人間の言葉を喋ろうと思っても喉の構造が違うから喋れない、よって喋ろうとする犬の努力は達成し得ないのです。

 

よってやってみることは大切だが諦めることも大切だと思います。

 

諦めて違うことすればいいのですよ。

生物の生き残り方

日本人の生き残り方はまるで、植物の生存競争のようだと思うのですよ。

植物の生存競争は大きく2パターン。

1つは多種の生物に気に入られるパターン。米は勝手に生えてくるのでなく、人間が育てているので今絶滅していない。人間に気に入られているから育ててもらえていて、反映しているのです。

もう1つは、絶滅させられそうになっても勝手に生えて、生き抜くパターン。雑草はその典型例です。毒を持って殺されないようにする、毒を持っている生物に擬態して自らも生き残る、いずれも多種の生物を敵としてみると、その敵をいかに欺き、いかにないがしろにするかにより、生き残っているのです。

 

これは簡単に言うと何かに、依存するか、依存しないかの違い。二つのパターンで生き残れない例として地球や太陽が消滅し、急になくなってしまうパターンがあります。地球の環境に依存するからです。

 

日本人の生存パターンは何かに依存して成立しているような気がします。それはスケールの違いで、例えば家族に依存、学校に依存、国に依存…これは否定をしているわけではなく、生き方として成立しているのでむしろ正しいと思います。

 

おそらく、その理由から道徳教育を大切にし、人として生きる権利を保証しているのです。

 

上の言う通りにしなさい→若い人言う通りにしたくない→雑草的に生き方→苦労する→年をとる→言うこと聞いておいたら良かったな→上の言う通りにしなさい

 

この思想は長年ループし、今現在にいたります。

 

これが成立するのは依存対象が圧倒的に強い場合だけです。依存対象の力が弱ければ被依存者は滅ぶことになります。

 

これまで、雑草パターンはループにより、黙殺されてきたように思います。

 

上の言う通りにしなさい→当てにならないなー→だったら自分で何かするか→苦労はするけど成功もする→苦労が苦労でなくなる→

 

このパターンが世にたくさん出てしまいました。その結果、圧倒的な力を持たない依存対象がたくさんでてしまいました。そうなると、着地地点が変わり、「別に言うこと聞かなくていい」となります。

 

この流れを2周もすれば世の中はガラッと変わる。故に今、好きなことをして生きるだとか、会社にとらわれない生き方だとか流行っているのだと思われます。

 

力があれば雑草すればよくて、依存者にやるなら対象を選択するところからスタートすればいいと思います。

 

そもそも、人間の場合どちらで生きるかの選択権がある分ましですけどね、今のところ。

高校生のときの自分にシリーズ

人間1日でできることは限られているということ。

人生とは1日1日が断片的にあるわけじゃなく、流れのように繋がっていくものなのだ。

だからこそ、継続することが大切で、流れにのっているものにこそ注目しなければならない。

 

 

点でとらえるのではなく線でとらえる。それはそうだ。動物は動くのだ。止まっている点も自分が動いたら、動いてしまうのだ。

 

継続は力。実行できない、ダメ人間。自分は継続が苦手だと思っていた。だからダメ人間だと思っていた。

 

ただ、普通の生活をすることはもう継続なのだ。時間も、物事も自分の行動や生死にかかわらず、全て動いている。その中で生きている限り流れに乗っている。勉強が継続できるかできないかは別として、自分一人で何とかしようとし、できなかったら言い訳を考えようとしているからいけないのだ。

 

ダメ人間だとしたら、努力する流れにできていないことがダメなのだ。

 

続けることそのものよりも、まず、続けられる条件を作り出すことが大切だ。

 

そして、決めたことが一回続かなかったくらいでどうということはない。

 

そして、考え方がぶれていなければ、例え他人からは断片的に見えても、人生は流れなんだから結局うまい具合に繋がっていくものだ。

 

問題なのは、継続ができないと決めつけて、断続的に生きていると思い込んでいる気持ちである。その時点でダメだとレッテルを張ることになど意味はない。

 

継続から逃げることはできないし、その流れを結局立ちきっているのは自分の甘い考えなのさ。

 

センター試験直前に古典の勉強を諦めてしまった私へwww

 

甘えられるときには甘えとけ。

もし、自分が高校生のときの自分にアドバイスするとしたらまずこれだ。

 

高校生のときに、よく言われたなと思うことは「自立した社会人になれ」と言う言葉。

 

そんな中私の父の教えは、「自分の食う分だけ稼げ」という教えだった。無人島で一人で生活できたらそれでもいいと。

 

今、社会人になって、何が自立してるんだ?と思う。

 

警察に犯罪から守ってもらって、国に外国から守ってもらって、腹へったらコンビニでパン買って食って、知らないことがあればGoogleで調べて…自分一人でやってることときたらせいぜい家で寝ることくらいだ。

これは電気も何も使わないでという意味で。

 

そう考えると世の中のほとんどは自立していないし、気にしていない。

接客が悪いと、飲食店でバイトの高校生に毒づく人を見るとそんな風に思う。じゃあ自分で取りに行け、もしくは作れと。

 

つまり自立なんて無理なのだ。自立してない部分を、主にお金で補っているだけ。

その人に何が産み出せるか、生きる能力があるかというような事柄に関して、主にお金があやふやにしているだけ。

税金払っているから自立しているみたいな理論もあるけど、消費税上げるっていうことは、結局今の生活を維持するための税金が足りていないということだから、現在進行形で自立できていない、だって消費税上がったらだいぶ困るもん。ほとんどの人が。

 

自立してなくて当たり前。便利な日本において自立してなくて当然。いわゆる社会に出て、誰も頼らずに生きることは無理。社会に出れば出るほど何かに頼るしかない。

 

そして、高校生の私は自立していないという理由から、かなり遠慮をしていた。周りから見ればそうは思わなかったかもしれないが、だいぶ気を使った。

 

自立していないから。学生だから当然、自立してなくて当然、だから気を使って当然という気持ちだった。気を使って生きていることへの信頼が大きすぎて傲慢だった。

言われた通り勉強してるやん、みたいな。

 

でも、社会人になっても誰かを頼らざるを得ないことが凄くわかった。

 

だったら甘えればいい。

 

自分にしかできないことだと思っていることは大体他人でもできるのだ。

 

他人に任せるべきところは任せればいい。

 

 

他人にはない特別なものがある人なんてほんの一握り。

 

平穏無事なときには甘えとけばいい。

その分勉強すればいい。

能力がないから勉強するしかない。

それは学校の勉強に限定せず、世界全体を観察するような気持ちで。

 

そうすれば、見えてくる。

だから感謝しなければならない。当たり前だ。自立してないんだから。甘えているし、これからも甘えていくのだから。

 

感謝する余裕もなくなるくらい、いっぱいいっぱいになってはいけない。

 

いっぱい甘えて、それを自覚することが重要だ。

 

父の教えはそういう意味で、「どこでも、どういう状況でも生きていける強さ」を私に求めたものだと解釈する今日この頃。

 

人は環境により

大半の人間が、自分で道を選んでいるわけではなく、環境によって意思や行動が決定されている。これは紛れもない事実で、たいてい自覚していないだけである。

 

だから、私も含むほとんどの人は選ぶことが苦手ではないか?と。

 

少なくとも私の周りでは、わがままだとか自己中だとか言われるのが怖くて自分で自分の意思を自覚して意思決定せず、環境におまかせという人がほとんどでしょう。

 

私がそれを自覚したのはここ2年くらい。

それも話題の本を読みあさっているときにたまたま見つけた本を読み、強く影響されてのことだ。そして、今もまだ選ばされて生きていて、たぶんまだ3年くらい選ぶのが苦手を続けていくことになるでしょうし、失敗もするでしょう。

 

過去も今も、そして近未来もそんなに変わらないのです。今まで選択が苦手だったのだから。

 

だからきっとこれからも私はミーハーで踊らされて生きていくと思うし、それはそれで楽しい。

 

他人に責任を押し付けたり、うまくいかなかったときに環境のせいにしなければ、選ばせられる人生も楽しいものではないでしょうか。

 

と、ドラクエポケモンなどのRPG好きである私は思うわけなのです。