甘えられるときには甘えとけ。
もし、自分が高校生のときの自分にアドバイスするとしたらまずこれだ。
高校生のときに、よく言われたなと思うことは「自立した社会人になれ」と言う言葉。
そんな中私の父の教えは、「自分の食う分だけ稼げ」という教えだった。無人島で一人で生活できたらそれでもいいと。
今、社会人になって、何が自立してるんだ?と思う。
警察に犯罪から守ってもらって、国に外国から守ってもらって、腹へったらコンビニでパン買って食って、知らないことがあればGoogleで調べて…自分一人でやってることときたらせいぜい家で寝ることくらいだ。
これは電気も何も使わないでという意味で。
そう考えると世の中のほとんどは自立していないし、気にしていない。
接客が悪いと、飲食店でバイトの高校生に毒づく人を見るとそんな風に思う。じゃあ自分で取りに行け、もしくは作れと。
つまり自立なんて無理なのだ。自立してない部分を、主にお金で補っているだけ。
その人に何が産み出せるか、生きる能力があるかというような事柄に関して、主にお金があやふやにしているだけ。
税金払っているから自立しているみたいな理論もあるけど、消費税上げるっていうことは、結局今の生活を維持するための税金が足りていないということだから、現在進行形で自立できていない、だって消費税上がったらだいぶ困るもん。ほとんどの人が。
自立してなくて当たり前。便利な日本において自立してなくて当然。いわゆる社会に出て、誰も頼らずに生きることは無理。社会に出れば出るほど何かに頼るしかない。
そして、高校生の私は自立していないという理由から、かなり遠慮をしていた。周りから見ればそうは思わなかったかもしれないが、だいぶ気を使った。
自立していないから。学生だから当然、自立してなくて当然、だから気を使って当然という気持ちだった。気を使って生きていることへの信頼が大きすぎて傲慢だった。
言われた通り勉強してるやん、みたいな。
でも、社会人になっても誰かを頼らざるを得ないことが凄くわかった。
だったら甘えればいい。
自分にしかできないことだと思っていることは大体他人でもできるのだ。
他人に任せるべきところは任せればいい。
他人にはない特別なものがある人なんてほんの一握り。
平穏無事なときには甘えとけばいい。
その分勉強すればいい。
能力がないから勉強するしかない。
それは学校の勉強に限定せず、世界全体を観察するような気持ちで。
そうすれば、見えてくる。
だから感謝しなければならない。当たり前だ。自立してないんだから。甘えているし、これからも甘えていくのだから。
感謝する余裕もなくなるくらい、いっぱいいっぱいになってはいけない。
いっぱい甘えて、それを自覚することが重要だ。
父の教えはそういう意味で、「どこでも、どういう状況でも生きていける強さ」を私に求めたものだと解釈する今日この頃。